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優れた「にじみ」の画仙紙、紙漉き体験、山梨県の手漉き(手すき)和紙
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禅と書

ウィリアム・リード教授×古川周賢老大師

墨跡奉納 2020.2.22乾徳山恵林寺にて

ウィリアム・リード先生

アメリカ出身。山梨学院大学 国際リベラルアーツ学部
(iCLA)教授。唯心会合氣道八段。全日本教育書道連盟書道十段、全日本教育書道連盟副会長。ナンバ術協会特別師範。
会津戊辰150周年記念ドキュメンタリー道義編のナビゲーター及びポスターの題字を担当。

残暑残る2019年9月半ば、ウィリアム・リード氏が乾徳山恵林寺の境内にて書道パフォーマンスを行いました。
まだ蝉の声が響き渡るなか、リード氏が力強く書いた文字は 「喫茶去」。
禅語のひとつであるこの言葉は 「お茶を召し上がれ」 というただそれだけ。
どんな者にも関係なく、理屈抜きに一杯を差し出すことこそ禅の心に通じます。
このパフォーマンスを機に恵林寺の住職 古川周賢老大師 との対談、および 「喫茶去」 の奉納式典を行うこととなりました。
禅とは・書とのつながりとは・何か・お二人の対談です。

「喫茶去」

「喫茶去」は茶席の禅語の中で最もよく知られた言葉でしょう。
「お茶をおあがりなさい」といった程度の意味です。
中国唐代の老禅匠、趙州従しんじょうしゅうじゅうしん禅師は禅の巨匠です。
その趙州禅師の語録の中に「喫茶去」の話があります。
あるとき、趙州禅師がその日来山した修行僧の内の一人に「曾かつて此間すかんに到るや(あんたはかつてここに来たことがおありかな)」と尋ね、僧が「「曾かつて到らず(ありません)」と答えると「喫茶去」とお茶を勧めました。
もう一人の僧に同じことを尋ねると今度は「曾かつて到る(あります)」と答えましたが、その僧にも禅師は「喫茶去」とお茶を勧めました。
そばにいた院主が「初めて来た者に出す茶はいいとしても、以前来たことがある者にも同じ様にお茶を勧めたのはなぜですか?」と尋ねたところ、禅師は突然「院主さん!」と呼び、思わず「はい」と答えた院主にやはり禅師は「喫茶去」とお茶を勧めたのです。
客人の貴賤・貧富・賢愚・老若職業などにとらわれることなく、さりげなく出された一碗の茶。
たとえ茶道具は粗末で、茶や菓子は十分なものでなくとも、真心込めて出された一碗の茶。
お茶を出すものとして、あるいはいただくものとして、知るべき本当の茶の心が「喫茶去--お茶をおあがり」という短い言葉の中に込められているのです。

古川老大師は、誰に対しても同じ問いをする、どんな答えに対しても「お茶を飲んでいきなさい」と答えることの心配り、受ける側の洞察力、そしてそれが終着点ではない。道は続くということでした。(間違っていたらすみません)

そして有難いことに

山十製紙の漉いた紙が有ったから

ウィリアム先生は老大師の前で、多くの観客の前で自然と「喫茶去」の文字が浮かんだと、

紙が自然に筆を運んでくれた

と話してくださいました。一画目に筆をおいた瞬間に自然と筆の進むべき道を教えてくれた。己を出すことなく自然に書けたと話してくださいました。

この紙は弊社が日本画用に漉いた初雪3×6尺(980x1900x0.6mm) 那須楮100% 200g でした。

日本画の方と写真家の方が使う紙なので書き味は分かりませんと一言ことわって納品したのを覚えています。

昨年秋に恵林寺境内で揮毫した時に紙について伺ったところ、書き味は申し分ないとおっしゃっていただき胸をなでおろしました。そして作品の表具は

田中正武表具師

田中先生は

高校卒業と同時に父親に弟子入りし表具師の道へ。180年に及ぶ江戸表具師の家系の9代目に当たる。1964年に有限会社田
中表具店、1988年に有限会社アイデイ・タナカと社名を変更。
2019年、長年にわたる優れた功績等が認められ、「現代の名工」に選定、および 秋の 黄綬褒章 受章。
古くから日本人の暮らしとともにあった襖や屏風、障子など“和のしつらえ”。それらの製作・修復を時代を超えて担ってきました。また、表具師が手がけ
た作品は、後世まで残ります。田中さんは、そこに表具師としての誇りと喜びがあるといい、180年の歴史ある表具師家系9代目として今もなお、誇りを持
ち伝統を守り続けていらっしゃいます。

そしてなんと偶然なこと、3年前に先生の学校の生徒さん10名ほどで

工場見学

にいらっしゃっていました。

その時田中先生だけは所要の為こられなかったのですが、事前の打ち合わせにお電話で何回かお話ししたことを思い出しました。

なんという偶然!

大勢の観客の最前列に座らせていただき、このようにお話しいただいたことは、素材を作る紙漉き手として最高の喜びでした。

感動の余韻のなか表に出ると白梅が満開でした。