毎年元旦には和紙業者が集い、西島手漉き和紙の創始者望月清兵衛の墓参りを行っています。元旦の10時になると紙屋と問屋とで清兵衛の菩提寺である栄宝寺境内にある蔡倫社と清兵衛のお墓前に新年のご挨拶とその年の発展を祈願します。
蔡倫社では450百年以上前から、紙を発明した中国の蔡倫と、その技術を日本に伝えた高句麗の僧侶、曇徴(610年日本に来た)、そして望月清兵衛は伊豆修善寺の製紙技術を西嶋に持ち帰り手漉きを始めた。
そのお社には 西嶋の造紙三神像の掛け軸 が祭られている。
この時空を超えた西嶋まで手漉きの技術を伝えた三聖人を古くからお祭りしている。子供のころは当たり前のように感じていたが、紙業者が蔡倫や曇徴までもお祭りしているのは大変珍しいことである。
1936年にアメリカで発刊された Dard Hunter氏の本の『A Papermaking Pilgrimage to Japan, Korea and China』に西嶋の造紙三神像の掛け軸を紹介している。
この 西嶋の造紙三神像の掛け軸 で蔡倫が手にしているのは楮や三椏ではなく、雁皮の枝かあるいは 青檀皮 の枝に見える。が 青檀皮 はもう少し葉っぱが大きいので雁皮と思われる。西島手漉き紙の最初は三椏紙と共に雁皮紙を作っていても不思議ではない。
推察するに、清兵衛が紙の技術を学んだ伊豆国立ち野村は鎌倉幕府に雁皮紙や三椏紙の当時とすれば高貴な紙を収めていた産地である。そのルーツが 曇徴 の技術を用いていたことは想像できる。おそらく 立ち野村 でも蔡倫と曇徴をお祭りしていたのだろう。技術だけでなく先人を敬う伝統も西嶋に持ち帰り、現在まで村の伝統として現在も元旦に紙業者が集い、遠い先人に思いをはせるのである。
製紙技術だけでなく、それを取り巻く文化までも引き継ぐこと、残さなければならない伝統である。